都議会百条委員会:豊洲新市場移転問題に関する調査特別委員会 経過報告-3、4
都議会百条委員会:豊洲新市場移転問題に関する調査特別委員会 経過報告-3、4
3月19、20日、東京都議会で豊洲市場移転問題の調査特別委員会(百条委員会)が開かれ、東京ガスが所有していた豊洲の用地取得にかかる交渉役・豊洲問題のキーパーソンとされてきた濱渦武生元副知事、石原元東京都知事、各位の証人喚問を行った。都議会生活者ネットワークからは、小松久子[杉並]が代表し質問に立った。
都議会百条委員会は、19日の証人に濱渦氏、20日には石原元都知事を喚問。石原氏は2000年、難航していた東京ガスとの交渉を国会議員時代からの側近である濱渦氏に一任。すでに、浜渦氏が「水面下で高圧的に売却を迫った」とする東京ガス側の資料や、土壌汚染処理の範囲について合意した際の「確認書」が明らかにされているが、濱渦氏は「水面下は、個別課題はていねいに・・・」の意、とかわし、石原氏は、豊洲を移転先とし「裁可した責任はある」ものの、築地市場については「生鮮食品を扱うのに最も不適当な場所」と指摘。また、都が2011年3月に、東京ガスと結んだ市場用地の土壌汚染対策費に関する協定で、将来新たな対策費を東ガスが追加負担する「瑕疵担保責任」を都が免責、または放棄したとされる論点については、「昨年初めて知った」と応答。生活者ネットの<都政を丸投げしてきた結果が、土壌汚染対策にとんでもない費用が必要になる事態を招いた。都政のトップとして怠慢であった>という質問には、「そうは思わない。関心のあったことにはコミットしてきた」。これが毎回最終質問に立つ生活者ネットへの、石原氏の証人喚問にかかる最後の応答となった。
東京都議会百条委員会は、東京ガスとの交渉に関わっていた都の元幹部3人を4月4日に証人喚問することで合意。新たに証人喚問するのは、元知事本局長で現練馬区長の前川燿男氏、元政策報道室理事の赤星経昭氏、元首都機能調査担当部長の野村寛氏の3人。百条委員会には、東京ガスとの交渉の際に浜渦武生元副知事の指示で、赤星氏が「土地の値下がりをカバーするために石原知事の安全宣言で救済するから結論を出せ」と、高圧的に売却を迫ったとされる資料が認められており、この点に質問が集中することが予想される。
◆3月19日 濱渦元副知事への生活者ネットの証人喚問(一問一答)
小松●濱渦証人が副知事に就任されたのがH12年7月。それまでは特別秘書であられ、石原知事に請われての就任であったと思われるが、何を期待され登用されたとご自身はお考えか。
濱渦●明日、石原知事に聞かれたい。
小松●明日、石原知事に聞いてみたいが、おそらくは濱渦氏への信頼、また交渉力をかわれたのかなぁ、と考える。複数の副知事がおられた中で分担はどのように決められたのか。市場移転交渉を濱渦氏が担うというのは知事のお考えだったのか、どの時点で、土地取得までということになったのか、この点はいかがか。
濱渦●担当については人事部から、私の担当は産業振興、国との連絡調整といった抽象的なもの。
小松●何度か、この場で担当したことは豊洲の土地取得まで、とおっしゃっていると思うが、担当が決められた時点で土地取得までといった決めがあったのか。
濱渦●産業振興を担当するとされたときに市場の話もくっついてきた。知事にこういうことでしたと話したところ、豊洲の土地の交渉は役人にはムリだ、お前がやれ、こう言われた。どこまでというのではなく、交渉が難儀しておるので、東京ガス、あるいは東京電力が相手であるからお前がやれ、と。土地の取得とか、具体・個別的なことではない。
小松●要は、交渉ということだと思うが、東京ガスを訪問されて交渉が開始したと思われるが、その交渉内容については、市場長とどのように共有され、知事への報告はどのようにされていたのか。また報告に対して知事からはどのような指示があったのか。あるいは、ほとんどの判断は任せるということだったのか。
濱渦●市場長には交渉担当から外れていただいた。人間関係がすでにうまくいっていなかった。東京ガスのほうも非常に不愉快ということになっていた。よって全体情報、状況を集約して、交渉の中心は知事本局、政策報道室ですが、そこが中心。知事への報告は、私がというのではなく、知事本局ブリーフィングのときに知事本局がしたかもしれないが、よく覚えていない。私がしたのは、そのもっと前に、交渉の覚え書ができた段階で「うまくできていますよ」、それから「まもなく基本合意になりますよ」、こういったことは話したが、中身の細かいことはお前に任せる、ということであり、知事本局と一緒になって進めた。
小松●そして、最初の訪問から約半年で「基本合意」が交わされている。それまで渋っていた東ガスが急に売却を承知した、なぜか、ということが関心事になっている。東ガスには、公共的な役割を果たすという以外に、東京都から特別な便宜があったのではないか、提示されたのではとの疑いがもたれている。それが先ほど来、話されている二者間合意で、13年7月18日にかわされた確認書では、護岸整備負担は東京都が肩代わりすると了解する、土地利用の緩和、譲渡条件の優遇などが確認されている。この文書のサイン、都側は知事本局、野村寛となっているが、これは濱渦副知事が中心となって東ガスと合意したものではと考えるが、いかがか。
濱渦●野村さんが誰とどんなことを言い交わしたか一切知らない。私は赤星さんに指示をし、赤星さんから報告を受けていた。
小松●ここでは、土壌汚染対策は東京ガスが減処理計画に則り実施するとしているが、この処理では汚染が残ることもこのときに了解した、と後に、文書でみることができる。これが問題となっている「瑕疵担保」放棄の最初の一歩であると考える。
結局土壌汚染対策で、東京ガスが78億~108億円に対して、都は860億円を投入、この中には地下水管理システムなども盛り込まれているので、純粋な土壌汚染処理費は479億円であるが不均衡な分担割合となった出発点がここにあると考える。都政における濱渦氏の特権ということに付いて伺う。知事が執務していないときの職務代理者となっているが、当時、他の副知事は、福永、竹鼻、青山の各氏がおり、この方の中のどなたが職務代理者だったのか。
濱渦●先ほどから、これまでも、「瑕疵担保責任」放棄の第一歩がそこにあるとかなんとか言うが、それは皆さんの考えであり、そういうことではない。職務代理者順位1位は、福永さんであった。
小松●石原知事が先の記者会見で、組織の積み上げで進めてきたことが「裁可いただけた」といった。では都の合意形成はどのようにされたのか。今も局ごとに担当副知事が割振られているが、副知事をトップに決められたことが知事に上げられるということか、あるいは国の閣議のように局長級が集まるような場で決まるのか、濱渦さんが政策判断する場面はどのような場だったのかお聞かせ願いたい。
濱渦●前も今も変わらないと思うが、組織なんですよ。知事が判断されるということは、各局から上がってくるかなり練った案があがってきて裁可いただく流れになっている。小池知事もそうであろうが、自分で勝手にそうするわけには行かない。
小松●当時の、各局ごとに決めたことにおける副知事の位置について教えていただきたい。
濱渦●副知事は大きな局を持つ大局長のような役割や、知事の代わりにご挨拶に行くとかそういうのが仕事であったと記憶する。
小松●今お話があったように、知事の代行をされた、石原氏は休み勝ちだったから、副知事がご活躍されたということ。知事に直接あうことがかなわず、濱渦さん宛てにお手紙を、と求められたなどの様子を聞いている。石原知事は途中からほとんど登庁されなくなり、知事にあう場合は濱渦さんを通じなければならなくなった。しかも濱渦さん宛てに手紙で用件を書かなければあえないという悲惨な状況だったと、かつての幹部の方から聞いたことがある。先ほど来、交渉の報告を受けていない、承知していないということであるが、お手紙で報告を受けていたということはなかったか。
濱渦●私に対してお手紙というのは、それは怪文書なんだ。それを根拠に雑誌に売ったり。どこから怪文書が出たかは承知しているが、発言を控える。
小松●お手紙で報告を受けたことはないということか。
濱渦●私も他の副知事も時間的制約がある。どういうことといった要約したものが来ることはあった。これは私の担当外だ、これはあの副知事だといった仕分けはした。重要なことは、そういうペーパーをマルバツするだけでなく、そこから仕分けをした、そういったことはあった。だが、それによって私が知事の日程を決めたなどということはありえない。そんなことしたら、石原知事が怒りますよ。
小松●濱渦証人は副知事を辞めた後、交通会館の副社長に就かれた。しかし、その後も参与として再び都庁に戻られている。この参与としておられた間に豊洲の土地売買契約が締結されるまでには、都庁では様々なハードルがあった。これに関して、市場移転にはノータッチだったと先ほど述べられたが、
タッチはしなくとも、相談を受けたということはあったのではないか。
濱渦●委員は当時いなかったかもしれないが、当時都議会がですね。都の職員と一緒で、濱渦は邪魔だと追放されたんですよ。そういうものにどうしてお話が来ますか。都政に障るな、というのが参与になったときの知事の指示であって、したがって国と、あるいは関係機関との連絡交渉、これをお前がやれということであった。
小松●当時の石原知事は、なにか問題があると、これは濱渦は承知しているのかと公然と言っていたと聞いているが、このことはご存知か。
濱渦●承知しない。
小松●都政における相当な影響力を様々な場面で発揮されたと思われるが、例えば、議会への影響力という点ではいかがか。市場問題、豊洲問題にかかる議会との係わりも様々にあった時期であって、そうした、個別・具体的にというより、この件で議会とのかかわりはどうであったか。強いて言えば、このテーマで議会の側から相談を上げたり、国へ働きかけるようなことはどうか。
濱渦●質問の趣旨がよくわからないが、参与になってから、議会へのかかわりなどはありません。というより都議会が私をほおっているんですよ。相談があるはずがない。冷静に考えればわかることだ。
小松●先ほど来証人に伺ってまいって、濱渦さんが副知事でおられたときに、われわれが抱いていた先入観といいますか、それが、本日直接お話を伺って、あ、少し違うのかな、誤解しているところもあるのかなと思っているところではあるが、当時知事であった石原さんに明日尋ねてみたいとも思っている。
それでは、話が戻るのだが、濱渦さんが副知事に就任されたとき、それまで担当されていたのは福永副知事で、濱渦さんに引き継がれた。そのときに、市場に関して、引き継ぎの際に最も重要課題とされたことはあったか。あったならばそれはなんだったか。
濱渦●さあ、あったかもしれないが記憶にない。福永さん、大矢さんでうまくいかないから私になったのであるから、福永さんも私には余分なことは言わないのでは。
小松●濱渦さんは産業振興を担当されて、その中で豊洲土地交渉を担当されたということだった。そして副知事に就任されて、23区の区長に会われていて、江東は矢田さんですが、会われたか。
濱渦●矢田さんだが、彼とは学生時代にすでにお付き合いがあって、一緒に飯食べるようなことがあった。が、市場を移転する云々という話はありません。移転するからとか、そういうことは一切ない。ただ、矢田さんのほうからは、移転した後の築地の使い勝手については相談してくれ、とこういう話はあった。
小松●それでは、23の区長たちと会われる中で、濱渦さんが江東区長に会われ中央区の区長とも会われている。そうした中で、現在市場が、豊洲が今後どうなっていくのかの局面にある。これにかかる現在のお気持ちは。
濱渦●豊洲移転がどうなるかということですから、直接お答えするのがよいかどうか。しかしせっかくのご質問ですから、これまで苦労して豊洲に堅牢な建物ができた。地下の汚い水が出ているろいうのですが、地下の水をなにに、どう使うというのか、私にはさっぱりわからない。それよりも、もともとの発端は築地が老朽化している、危ない、汚いということがあった。視察されてお分かりと思うが、朝から排ガスは充満している、石原さんがディーゼル車対策したから少しはよくなっているかも知れないが、車がざーと止まるわけで。当時はNOXとか市場の中にたくさん入ってきていたわけだ。事業者や職員たちも概ね早く豊洲に移りたい大きな意思があった。したがって、汚染水を言うのなら、ビキニで被曝した原爆マグロが埋まっているような、築地から市場を誘導し、築地も早くきれいにしてあげるべきだと思っている。
小松●濱渦さんのお考えはお聞きしたが、豊洲は、これほどの土壌汚染が明らかになっている。その、そもそもの発端が、われわれが、私も指摘した、濱渦さんが副知事でおられた時期に交わされた様々な交渉ごとの間で、都は莫大な汚染対策を求められ、かつ、「瑕疵担保責任」の放棄につながるような合意が交わされた。このことが今回の委員会で明確にされるべきと、濱渦さんをお呼びした。もう一つ明らかにしていきたいのが、濱渦さんが副知事時代にどのような影響力を持ち都政を動かしていったのか、少し解明できたかと思うが、この質疑を明日の喚問につなげていきたい。
◆3月20日 石原慎太郎元知事への生活者ネットの証人喚問(一問一答)
小松●石原さんは在任時に食品安全条例を制定した。市場における食の安全の意識も高かったと思うが、どうだったのか?
石原●当然じゃないか。私も市場を回ったし、食べ物を食べている者の一人なんだから。
小松●だからこそ豊洲の土壌汚染対策には万全を期して専門家会議を立ち上げ、法令以上の厳しい基準を定めた。在任中、豊洲の土壌汚染を何とかしなければと思っていたのでは?
石原●その通りだ。
小松●都知事の指示で濱渦氏が、土地の取得が第一義、汚染処理は二の次というかたちで強引にこの事業を進め、東ガスの汚染処理計画で汚染が残ることを知りながらそれでよしとしてきたことが明らかになっている。濱渦さんに全権を委任していたということだが、彼に全幅の信頼を置いていたのか?
石原●彼のおかげで都が財政再建団体に転落せずに済んだわけで濱渦君を信頼していた。
小松●いわば都政を丸投げしてきた。その結果土壌汚染対策にとんでもない費用が必要になった。都政のトップとして知るべきことを知らなかったことはおかしいし、怠慢である。怠慢であったといわなければならない。石原さんは知事時代、関心があること以外は部下に任せきりだった。それこそが豊洲市場をめぐる混迷を招いているのではないか?
石原●怠慢だったと思っていません。関心あったことはコミットした。行政マンとして当たり前。週に3、4日しか都庁に来ないと噂がありましたが、私は都内を歩いていた。そして、いろいろなものを発見できた。SPを連れて渋谷を点検したとき、時期が来たら取り締まり対象となる危険なドラッグが売られている実態を明らかにし、警察に通報しました。また、東京の大事な名所の隅田川の沿岸を観光地にしたいと思いました。ロンドンのテムズ川のように。自分の目で確かめて歩き、日にちを費やして点検して政策に反映させようとしていました。怠慢だとは思っていません。