原発のない未来へ~上関原発を建てさせないために~
原発のない未来へ~上関(かみのせき)原発を建てさせないために~
7月26日、東京・生活者ネットワークも賛同団体となって、「トーク&ライブ 原発のない未来へ~上関原発を建てさせないために~」が、東京ウィメンズプラザを会場に、開催された。
このイベントを企画運営したのは、「上関原発どうするの?~瀬戸内の自然を守るために~」(略称:上関どうするネット)。上関どうするネットは、山口県上関町長島での原子力発電所建設計画に「待った」をかけるために、主に首都圏で活動している市民グループだ。集会参加者は約170人。
この日、はじめに登壇したのは、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」代表で上関町議会議員でもある清水敏保さん。祝島(いわいしま)は、上関原発建設予定地の長島田ノ浦に、3.5キロメートルの至近距離で面している離島で、この島の住民の90%が原発建設に反対し、原発建設のための埋め立てを阻止してきた。
清水さんからは、「上関原発計画と祝島の反対運動の状況」が報告された。
《清水敏保さんのお話》
1982年より32年間続く上関原発建設計画は、福島第一原発の事故後、予定地海域の埋め立て準備工事は現在中断されています。これで上関原発はなくなると誰もが思っていました。そして、上関町では「原発に頼らない町づくり」の取り組みが始まろうとしていました。ところが、政権が変わり、推進派からは再び原発建設を期待する動きも出てきています。
また、2012年10月に失効する予定であった、予定地海域の埋め立て免許について中国電力は3年間の延長申請を行いました。「不許可にする」と明言していた山本前知事は、中国電力に再三質問を繰り返す手法で、判断を一年先送りしました。そして本年5月14日、村岡新知事は「判断材料が不足」という理由をこじつけ、中国電力に6回目の補足説明を求め、前知事同様一年判断を先送りすることを表明しました。前知事の先延ばし策は言うに及ばず、今回の知事判断にも納得がいかないし、何を中国電力に説明を求めるのか知らされないままで、県民よりも国や電力会社の意向を重視しているとしか思えない状況が続いています。私たち地元住民は、いつになれば原発問題から解放され、本来の町づくり、島づくりに取り組んでいけるのか! と、怒りの声が日増しに増えてきています。今後も山口県に対し、抗議の声をだし続けていく必要があると考えています。
一方、本年3月に「3.8上関原発を建てさせない山口県民大集会」が開催されました。天気にも恵まれ約7000人の方たちが県内外から県庁所在地である山口市に集結しました。県内で開催された集会では過去最高の規模となり、「原発はいらない」という人たちの意識が高いことが改めて証明されました。この集会を主催した3.8実行委員会は、継続して今後も各団体と連携し、上関原発計画の白紙撤回に向けて取り組んで行くことが確認され、さっそく、6月16日には「公有水面埋め立て免許」を即刻不許可にするよう山口県に申し入れを行っています。
ところで、祝島では高齢化が進む中、ここ数年でIターン・Uターン者が島に定住し若者が増えてきています。食堂が3軒、コーヒーの焙煎(コーヒー店)、整骨院などが新たに島内にでき、島の人たちはもちろん来島者からも大変喜ばれています。また、若いメンバーで「わっしょい」というグループを結成し、毎月「島の朝市」の開催、草刈りや自治会の行事にも積極的に参加し、島のお年寄りの方たちから喜ばれると同時に祝島の活性化に貢献しています。今後は、島の先輩たちと協力し、安心して暮らせる元気で明るい祝島の実現に向けて頑張っていただけると期待しています。
さて、祝島では、ずっと受け取り拒否し続けてきた漁業補償金の問題、反対運動の中で中国電力に起されたスラップ(いやがらせ)訴訟に伴う4800万円損害賠償等の課題がありますが、どのような攻勢にもひるむことなく上関原発計画を潰すまで全力で取り組んで行きたいと思います。全国のみなさんのご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。(当日の清水さんのおはなしと資料より)
次に、茨城県東海村前村長で、脱原発をめざす首長会議世話人の村上達也さんから、「日本の原子力利用発祥の地というべき東海村の村長の立場で、なぜ『脱原発』を主張することになったのか」、「原発は地域を豊かにするのか、地域をどのように変えるのか」などをお話しいただいた。
東海村で忘れてはならないのが、1999年9月30日の、(株)JCO東海工場のウラン加工施設での臨界事故だ。高速増殖炉実験炉「常陽」のための燃料生成過程で「臨界」(核分裂反応が連鎖的に生じる状態)が発生した。結果として、作業員・周辺住民を含め666名が被曝。現場の作業員3名が重篤な被曝をし、そのうちの2名が想像を絶する苦闘を強いられてのち死亡した。JCO臨界事故は、国際原子力事象評価尺度でレベル4とされる重大な事故だった。このとき、政府や茨城県の対応が遅れる中で、東海村は半径350メートル圏内の住民に避難を要請した。
2011年3月11日の東日本大震災では、東海村にある、日本原子力発電東海第二原発も、震度6弱の揺れで原子炉が自動停止した後、外部電源を喪失。非常用ディーゼル発電機が起動したので、紙一重のところで、東京電力福島第一原発のような過酷事故を免れた。これが震源域に立地する原発の実態であったことを、私たちは肝に銘じねばならないだろう。
村上さんが、強調されたのは、「原子力政策は国策」ということ。これは、地方主権の対極にある。原発は、アベノミクス、成長戦略、産業競争力会議、改憲という国権主義の象徴であり、地方にとっては、「疫病神」。原発立地地域では、「金(カネ)の暴風」が地域の自立の障害となる。自然、時間、人間、家庭、歴史、持続性といった地方の価値を再評価し、すなわち「里山資本主義」をめざす。脱原発と地方主権、地方の自立こそが、持続可能な地域経済圏をもたらすのであり、平和と幸せへの道であると話された。
質疑応答の中では、東海村にあるさまざまな施設に貯まり続けている「核のごみ」の問題の指摘や、脱原発と同時に課題となる、東海村で動き出している廃炉技術確立への進捗なども語られた。
2部は、寿[kotobuki]の二人(ボーカルのナビィとギター・三線のナーグシクヨシミツ)のライブで、「安里屋ユンタ」や「もう愛しかない」ほかの熱のこもった歌に、会場参加者も声を合わせ、元気をもらった。
集会終了後は、青山通りに繰り出し、表参道から原宿駅を過ぎて代々木公園まで、にぎやかにパレード。パレードには、「野菜デモ」(野菜にも一言いわせて!さよなら原発デモ!!)のメンバーも加わった。清水敏保さんらを先頭に、約100人が、「きれいな海をまもろう!」「上関に原発はいらない!」など、道行く人たちによびかけながら、炎天下を元気に歩いた。