ドキュメンタリー映画『逃げ遅れる人々』~飯田監督に聞く災害弱者支援、障がい者福祉のかたち
大地震が東北、関東を襲った2013年3月11日。そして津波、原発事故。あの時、福島で、宮城で、岩手で、ハンディのある人たちの身に何が起こっていたのだろうか。映画製作は2011年6月、「東北関東大震災障害者救援本部」の要請を受けるかたちで始まった。緊急的な支援は落ち着き出したものの、様々な、個々の、気の遠くなるような課題が見えてきた、そういう時期だった。被災地入りも限られる状況下での取材。映像に留めたのは2011年7月から2012年2月まで。約8カ月の記録だ。
学生時代から、新宿でホームレス支援活動の一方、世田谷でハンディのある方々の介助員をしていた飯田基晴監督。障がい者を取り巻く状況への理解は深い。しかし被災地では、障がいがあることが想像以上に不自由を強いられるのだということを思い知る。障がいがあるがゆえに救えなかった命、屈辱的な避難所生活、スロープも設置されていないため閉じこもるしかない仮設住宅での孤立生活……。加えて問題は福祉の、その量も質も、都市部と地方には未だに格段の差がある実態だった。首都圏で暮らしていると、不自由で不足かも知れないが、ヒト・モノ・サービスを組み合わせながら自立生活を営むことも可能だが、勝手が違った。南相馬辺りから始まる沿岸部は、自立生活という言葉を聞くことがない。そのイメージがない。利用できるヘルパーもサービスも高齢者のそれで、家族介助が出来なくなったら施設入所しかない。そこと上手くいかなかったりすると、もう行くところがない。震災をきっかけに、都市部からの支援が入って次第に明らかになってきた東北の、障がい者福祉の実態……。
被災地の障がい者は全国の当事者団体などの支援を得て、今ようやく気持ちを前に向けている。二人のお子さんに障がいがあるので逃げられない、放射能から守れないと苦しんでおられたお母さんが子どもたちの保養キャンプの世話役を担ったり、それまで当事者として障がい者福祉の向上に力を尽くされてきたものの、被災を前に無力感を拭えないで苦しんいた方も、現在では上映会で講演をされたりと、少しずつ現実と向き合われている。
――被災県の実情は復興とは程遠い。原発事故収束の見通しすら立たない福島はなおさら深刻だ。このドキュメンタリー映画を観てもらうようなことも含めて、被災地とすべての被災者に思いを馳せ、障がいがある方の困難を想像して、皆さんがそれぞれの支援のかたちを考えていただければと思う。そして、ご自分の住まう自治体の、福祉のまちづくりを災害弱者とともに考えていただきたいと思う――飯田監督からのメッセージだ。被災した障がい者の多くが苛まれている「無力感」。それは、都市生活者である私たちに共通する気持ちではないか。そこを共感して、改めてつながりを始める、災害対策に留まらない福祉のまちづくりを再構築することに意味があるのだと思う。
折りしも今年6月、障がいの有無によって分け隔てられることのない共生社会の実現をめざす「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(=障がい者差別解消法)が成立した。「改正・障害者基本法」「障害者総合支援法」に次いで、ようやく「差別解消法」の制定を見たことになる。すでに都内で初の差別禁止条例を、障がい当事者が参画し制定した八王子市などにならい、東京都で、市区町村で、条例を整備する、施策を変える、見直す取り組みが必要となる。
※ドキュメンタリー映画『逃げ遅れる人々』情報はこちら http://www.j-il.jp/movie/
※8月31日、共生共走リレーマラソン実行委員会主催、品川区、品川区社会福祉協議会後援によって、「『逃げ遅れる人々』上映~トーク&ディスカッション」が開催され、ドキュメンタリー映画上映後、監督の飯田基晴さんが語った。