シンポジウム「子どもたちと一緒に考える被災地の復興支援の今後」開かれる
東日本大震災・東京電力福島第一原子力発電所事故から1年10か月。被災した子ども・子育て家庭は非常に多いにもかかわらず、被害の実態把握が遅れ、必要な取り組みが十分にされているとは言えません。東日本大震災子ども支援ネットワークは国連子どもの権利条約に基づき、「子どもの権利を基盤に」、子どもとともに震災復興支援に取り組む30余りのNPO・NGOのネットワークです。(運営団体は公益財団法人日本ユニセフ協会、NPO法人/国連NGO 子どもの権利条約総合研究所、認定NPO法人国際子ども権利センター、NPO法人キッズドアの4団体、事務局長は森田明美東洋大学教授です。)東日本大震災子ども支援ネットワークはこれまで子ども・子育て家庭への支援について国会議員や県議会に対する様々は政策提言をしてきていますが、支援は当事者がどのように受け止めたかが大事です。子どもたちの意見を聴き、子どもたちも参加して推進することが必要との視点から、1月13日(日)「子どもたちと一緒に考える被災地の復興支援の今後」と題した集会が開催されました。
話をしてくれたのは岩手県南三陸町でNPOキッズドアの学習支援を受けて高校生となった元戸倉中学校の男女4人の生徒と、NPO子ども福祉研究所が国際的な奉仕団体「国際ゾンタクラブ」をはじめ、国内外からの寄付を受けて岩手県山田町に開設した子どもたちの軽食付きの居場所・自習室「山田町ゾンダハウス」の高校生6人。夜行バスで10時間かけて上京し、前の晩も遅くまで説明の準備をしていたとのこと。大勢の参加者の前で臆することなく、自分たちの経験や想いを語ってくれました。
「当たり前のようにご飯を食べ、お風呂に入って、眠ることができる暮らしの大切さ」「人の死を前に無力感を感じたこと」「復興よりも復旧。以前の暮らしを取り戻したい」「震災後、支援に頼らなければ暮らせなかった。毎日を大切に生きなければ」などの想いと全国からの支援に対する感謝の言葉。つらい経験を経て、10代の子どもたちから発せられる言葉一つ一つが重いものでした。
「支援物資はありがたいが、大きな避難所に集中し、孤立した家や小さな避難所には届かなかった」「同じものが山積みされていたが、被災者が何を必要としているか、把握することも必要ではないか」など災害直後の教訓や「仮設住宅が空いていくのに、家族4人が一部屋の仮設に押し込められ、食事と就寝が同じ部屋で不潔で不自由な生活を強いられていること。大人が役場に交渉に行っても1年以上変わらない」など現在まさに解決が急がれる問題も指摘されました。また「震災後、総合的学習の時間でまちづくりを勉強する機会はあるが、発表する機会がない」「提案書を出しても反応がない」「復興計画が知らないところで決まっている。若い人の意見を取り入れて復旧、復興に取り組んでほしい」「南三陸の漁業には補助金が出て復興が進んでいるが、農業も大事な産業」という発言など国連の「子どもにやさしいまちづくり」に向けて、今こそ取り組むべき課題も見えました。
あってはならないことではあっても、子どもたちが震災を乗り越えて、自分の言葉で話す姿はたくましく、まぶしいほど。「町の復興に役に立ちたい」「震災の経験を海外で話す機会に恵まれ、海外で働きたいとも思う」など未来への想いも膨らんでいます。ここに至るまでの困難とそれに寄り添い、支えてきたNPOや市民社会の活動があったからこそ、子どもたちが希望を持つことができるのだと思わずにはいられません。
災害復興を経済回復の起爆剤にしようというもくろみの復興補正予算が示されています。が、被災地、被災者である子どもたちの声にもっと耳を傾けることが必要です。学習する権利、休息の権利、遊ぶ権利さえ保障されていない現状を1日も早く改善させなくてはなりません。思春期を過ごす子どもたちが仲間と共に学び、軽食を食べながらリラックスできる居場所の必要性、子どもたちが仲間や様々な大人たちなど、人とのかかわりの中で成長することの大切さを知り、保障することが急がれます。子どもの権利条約総合研究所では昨年11月9日(民主党政権解散の前日)に「被災地での中・高校生たちへの地域居場所型の支援施設の創設に関する意見書」を提出しています。新年度予算への反映を強く要望します。
「つらい思い出だから話させるのは気の毒、と思ってほしくない」「私たちの経験を活かして次の災害にも備えてほしい」「被災地に足を運んで、現状を見てほしい、話を聞いてほしい」と子どもたちは訴えています。
震災を忘れない、足を運んで現地を見る、聴く。子どもの声をまちづくりに活かす。
子どもたちからのメッセージをしっかり受け止めなければなりません。