東日本大震災・福島原発事故を忘れないー3.11から6年、被災地に寄り添う支援体制の拡充を-
「東日本大震災子ども支援意見交換会-震災から丸6年、子ども・若者たちと考える被災地の復興―」から
3・11東日本大震災、続く東京電力福島第一原発事故から丸6年が過ぎようとしている3月9日、東京・生活者ネットワークも賛同参加する、「東日本大震災子ども支援ネットワーク」の第6回目となる「東日本大震災子ども支援意見交換会-震災から丸6年、子ども・若者たちと考える被災地の復興―」が開催され(於:東洋大学白山キャンパス)、翌10日には、会場を国会議員会館に移して、第18回目となる同意見交換会が行われた。
被災当事者(子ども・若者・被災三県を中心にした行政等関係者など)・支援NGO/NPO・国会議員・関係各省庁などが一堂に会して、被災地の子ども・若者たちの支援のあり方や、復旧期を経てようやくその緒についた復興のまちづくりを若者と一緒に考えよう、といった場で、回を重ねるごとに被災地の子ども支援政策への反映、参加・意見表明の実体化の場となってきた。
今回集まってくれたのは、今年「成人の日」を迎えた、被災当時中学2年生だった若者が中心、現在被災地で高校生活を送っている子どもたちも。支援者と語るワークショップではーー
◆皆が家族をなくしたりしているから、子ども同士で話し合うことはまれだったが、居場所や学習支援の場にいる大人には何でも話せた
◆津波被害や火災をまのあたりにして、役に立つ仕事がしたいと思った。救命救急の勉強をしているし、将来は役所で働くことが役に立つことと決めていたところがあったが、この意見交換会で東京に何度か来たり、大学生と話したり、いろんな支援者と会ったりしたことで社会や自分の将来をもっと広く考えるようになった
◆生徒会長をしていた中学生時代に被災して、震災を語るためにフランスに行く機会を得た。周囲の友だちで、受験の最中にそんなことして・・・と言う人もあったが、その体験がきっかけとなり、どんどん視野が広がったし、深く考えたり、行動することを惜しまないようになった。昨年の8月9日は、福島での合宿を企画。長崎から参加した学生が、原爆の日を原発被災地で皆と迎えていることの感想を述べられたことが印象的だった。他者とつながったり、深く知ることで自分が見えてくるように思う
◆津波と続く火災で壊滅的な被害を受けた、岩手県(山田町)で、子どもの居場所・自習室で支援を受けてきた高校生は、昨年から、まちの大人や、被災したまちしか知らない小さな子どもまで世代を超えて受け入れる「高校生カフェ」を発案。まちの人にそれまでの支援のお返しをしたい発意からのスタートで人気のスポットとなっている。だが、実施回数は自ずと限られてしまう。これを知った地元の社会福祉協議会が、高校生カフェの合間を埋めようと、地域の誰もが立ち寄れる「居場所兼お茶っこ」を同じ場所を使って実施することになったとのこと
◆神奈川大学に学ぶOさんは、関東に来てみて、大震災が忘れられている、同世代の関心が薄いと感じた。一昨年から、被災地出身の大学生数人と、関東の大学生を被災地に招くスタディツアーを企画。最初はアルバイトで貯めたお金を投入しての、文字通り招待ツアーから開始。そうまでしても被災地を見て、知って、壊れてしまった自然や残された自然、復旧の槌音などに触れてほしかったという。現在ではいくつかの支援も届くようになり、学生の、学生による、学生のためのスタディツアーとして定着しつつある
◆法政大学で学ぶ大学1年のSさんは、福島県郡山市の出身。原発事故のとき中学生だった。事故後、福島でサラリーマンを続けている父親と居を別にしての母子避難経験者で、つい昨年までは北海道暮らしだった。津波や地震による避難とはちがうので、友だちにもほとんど言わない、言えないままの、黙って転校する自主避難だった。母親が社会とつながって活動する人だったので、北海道では、避難者の会などで体験を語る機会があったり、得難い出会いもあった。そういうことが現在の自分自身をつくっているとも思う
・・・・・・など、支え合える人や支援者、世代を超えて仲間と出会うことで、困難な体験を経てなお未来を切り拓く力を若者たちが蓄えていることを実感する2日間。
今夏は『東日本大震災子ども・若者白書』がつくられなければならない時期にあるー震災後の子ども・若者の話を聴き続ける中で、被災の記憶が薄れていく岩手・宮城、そして今も厳しい原発事故の渦中にある福島の子ども・若者たちの体験をきちんと踏まえ、次なる支援に生かすために
彼ら、彼女らは、義務教育の中で被災し、その体験の意味を学校で考えたり、支援を受けたりしてきた。そうした彼ら、彼女らが20歳になったこの時期をとらえて、もう一度子ども期に提供された支援内容について、その質その量は適切だったのか、行政やNGO/NPO、学生ボランティアなど、様々に提供された支援の、その方法は適切だったのかどうか、当時も今もなお、支援がいきわたらないでいる子ども・若者がいること、6年を経て今、支えられ格差が生じていることも次第に明らかになっており、行政や市民社会が問われるべき課題も山積している。「東日本大震災子ども支援ネットワーク」事務局長の森田明美さんは、震災後の子ども・若者の話を聴き続ける中で、被災の記憶が薄れていく岩手・宮城、そして今も厳しい原発事故の渦中にある県内外の避難先で日々の暮らしを送っている福島の子ども・若者たちの体験をきちんと踏まえ、震災から7年目を迎える今だからこそ、当事者たちの参加が保障され、当事者たちの意見が尊重されるような子ども支援を考えていきたい、今夏は『東日本大震災子ども・若者白書』がつくられなければならない時期であると考えるに至っている、と結ばれた。
原発事故避難者への公営住宅の無償提供を前へ!放射能管理区域にあたる年間20ミリシーベルトを基準として避難指示区域を設定する愚・非科学!区域外の避難者は賠償のあてもなく、住宅提供打ち切り、という無謀を、政府は、改めよ!
2011年3月11日の東日本大震災に端を発した東京電力福島第一原発事故。この日語ってくれた母子避難を経験した大学生のように、原発事故により福島を出ざるをえなかった人たちが今も帰れず、12万人を超えて福島以外の地での生活を余儀なくされている。広範囲にわたる放射能汚染により、自然のめぐみは失われ、生業や生きがいの喪失、仮設住宅での避難生活、母子避難などによる家族やコミュニティの分断、健康リスクと先の見えないことへの不安、避難先でのいわれのない偏見や子どものいじめなどが表面化するなか、復興の名のもとに進められる国策が被害者をさらに追いつめている。特に「住まい」の問題は深刻で、これらの人たちへの唯一の公的支援ともいえる、災害救助法に基づく住宅提供の打ち切りが、この3月末に迫っている。
これまで生活者ネットワークは、原発事故避難者への住まいの確保を各地域で提案、避難当事者と都行政をつなぐ意見交換会や、都議会での質問を積む中で、都営住宅の優先入居戸数が400戸以上に増えて開放された。にもかかわらずこの2月末現在数で、166戸しか入居が確定していないのは、入居資格が厳しくて入れないから。これでは支援策とはいえない。加えて、国の住宅の無償提供が今月末に期限を迎える。少なからぬ人たちが4月以降の住居が見つかっていないことに照らし、東京都は都営住宅への入居延長へと踏み切るべきだ。電力最大消費地・東京に住まう私たちは、あの原発事故で福島を追われた人たちのことを忘れてはならないし、福島原発事故を引き起こした東京電力の大株主である東京都の責務もまた重いことを支援の基盤にすえるべきだ。