憲法平和主義に立脚し、脱軍事をめざす日本をあきらめない
68年目の終戦記念日、否!敗戦記念日が暮れようとしている
戦没者追悼式典に出席した安倍総理から「周辺諸国への謝罪と不戦の誓い」は語られなかったこと、自民党を中心にした保守系議員が靖国神社に参拝したこと、韓国の野党議員が来日し、「安倍政権の軍国主義に反対」と書かれた横断幕を掲げ抗議したこと、中国紙は、「日本政府は神風特攻隊の精神を呼び覚まそうとしている」と抗議声明を発したこと、そして、福島第一原発事故で全町避難を余儀なくされた福島県大熊町では、政府が先行除染した墓地に住民らが防護服姿で、事故後初めて訪れたこと……メディアを通じて、いろいろなニュースが配信された一日が暮れようとしている。
私たちは今、何をなすべきか
遡る6日、今夏初来日したオリバー・ストーン監督は広島講演で、「なぜ日本はいつまでも米国の属国のままなのですか? 敗戦以降ドイツは内省し、イラク戦争にもNO!を突きつけヨーロッパにおいて平和のための力を発揮してきた。一方、日本には一人として実際に声をあげて戦争に反対した首相がいない。戦後、ただの一人もいない……核兵器を一番持っているのは米国です。米国が核兵器を減らさないと何も変わらない。無人爆撃機からサイバー兵器まで世界の73%の武器を生産し、売りまくっている米国は、歴史上最強最大の軍事大国です。この状況、あなたはどうするつもりですか? 怒るべきです」と語りかけたという。
9日の田上富久長崎市長による「長崎平和宣言」では、「原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続ける」決意が宣言された。しかし、例年の「長崎平和宣言」でも提起され、2007年以来、長崎市が日本政府に求め続けている、北東アジア3カ国の非核化を定める「北東アジア非核兵器地帯条約(案)」は、政府の消極姿勢を反映し、起草段階、未調印かつ未発効であり、その実現は遅々としている。それでも、「北東アジア非核兵器地帯」を支持する自治体首長署名は、今春すでに409人に上った。そして、同市では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催、市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信するという。
脱軍事・核廃絶は健在で、可能である
「一旦ランプから出た『核兵器』という『魔人』は、二度と戻らないという言い回しをしばしば耳にする。『核兵器が発明されなかったことにすることはできない』とも言われる。よくありがちな決めつけであるが、実のところ、これらは核兵器というより『核軍縮』について、むしろ言い当てている」。ランディ・ライデル国連軍縮部上級政務官の言葉だ。(2011年10月「核廃絶フォーラム」による 出典:『イアブック2012核軍縮・平和 市民と自治体のために』発行:NPO法人ピースデポ )よく噛みしめたい、正鵠を射ている言葉ではないだろうか。
私たちは、「憲法平和主義」に立脚し、脱軍事、非核・平和的共存をめざす日本を、アジアを、世界をあきらめるわけにはいかない。
世界の非核兵器地帯[*]に学び、「北東アジア非核兵器地帯」を支持する自治体首長署名を全都に広げること、地域の市民として自治体が宣言する「非核・平和都市宣言」を、あらゆる方法で、あらゆるステージで行動に移すことから始めよう。憲法改悪は当然、否!である。憲法9条の精神に立ち返り、脱軍事、核も原発もない社会を実現するために力を尽くそう。
[*]非核兵器地帯:非核地帯のうち、条約などで特に核兵器を禁止した地帯
ラテロルコ条約(ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約、署名1967年、発効1968年)
ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約、署名1985年、発効1986年)
バンコク条約(東南アジア非核兵器地帯条約、署名1995年、発効1997年)
ペリンダバ条約(アフリカ非核兵器地帯条約、署名1996年、発効2009年)
中央アジア非核兵器地帯条約(署名2006年、発効2009年)