9月1日は関東大震災の日。朝鮮人・中国人虐殺の日。小池知事の追悼文拒否・取りやめ=排外的姿勢=に異議!
■9月1日は関東大震災の日。朝鮮人・中国人虐殺の日。小池知事の追悼文拒否・取りやめ=排外的姿勢=に異議!
9月1日は関東大震災の日。今後30年以内に首都直下地震が70%の確率で発生するとされるなか、過密都市東京の各地で、来る震災を生き延びるための防災・減災の街づくりが語られることになる。しかし、同時に94年前のこの日は、残念にも朝鮮人・中国人が虐殺された日。関東大震災の混乱の最中、「朝鮮人が井戸に毒をいれた」などの流言が広がり、東京のど真ん中で周辺都市で、軍隊や警察、自警団などによって罪のない朝鮮人6000人以上、中国人700人以上が虐殺された日。
関東大震災時に発生した虐殺事件は、内外の歴史研究によって確定されている事実であり、後世を生きる私たち市民は、この事件を永久に記憶し、ふたたびこのような惨事を引き起こすことがないよう、犠牲者の追悼とアジアの平和と安定に寄与することを祈念し、活動を前に踏み出す日としなければならない。
一方小池百合子知事は、毎年9月1日に営まれている関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を、今回は取りやめることを決めた。8月25日の定例会見で知事は、追悼文送付を断った件にかかる記者質問に答えて、「民族差別というよりは、災害の様々な被害で亡くなられた」「付随した、関連した形で亡くなられた」などと発言。加害と被害の関係性をあいまいにして、朝鮮人虐殺という歴史的事実をなかったことにするかの見解に終始した。
追悼文はこれまで、歴代知事が送付し、東京都庁、すなわち東京都民を代表し追悼・哀悼の意を表出するメッセージであった。東京・生活者ネットワークは、今回の小池知事の追悼文の送付取りやめ=排外的姿勢=に深く憂慮の意を表明するとともに、これを撤回し、追悼文送付を行うよう求めるものである。なお、当該の追悼式は本日9月1日、東京都墨田区の横網町公園でおこなわれる。
*以下に、東京・生活者ネットワークが発行する月刊『生活者通信』(No.277)から、「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」の代表者・矢野恭子さんの、同会の活動を紹介する寄稿記事を転載し、生活者ネットワークの追悼の意としたい。
■関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会の活動から
大きな荒川が人工の川だと教えても、子どもたちは信じなかった。そのため、小学校教員だった故・絹田幸恵は放水路開削の歴史を聞いて歩いた。かつてあった旧四ツ木橋あたりに来たとき、地元のお年寄りたちから関東大震災(1923年)の時にはここでも朝鮮人虐殺があったと聞かされた。
民衆も殺害したが、軍隊も来て機関銃で撃ったという。犠牲者を埋める穴を掘らされた人もいた。絹田の呼びかけで1982年に追悼する会が発足し、試掘では遺骨は出なかったがさらにおおぜいのお年寄りが証言を始めた。立教大学の山田昭次教授の下で文献資料も調べ、震災の年の11月半ばに2度にわたって一帯を封鎖し、憲兵や警察が遺骨をどこかに持ち去ったこともわかった。調査と追悼の記録は、『風よ 鳳仙花の歌をはこべ』(教育史料出版会)にまとめた。
毎年、荒川河川敷で韓国・朝鮮人犠牲者追悼式を行い、33回目の今年は250名の参加で行われた。ふだんは何のよすがもない河川敷だ。要望に応え、1991年に追悼碑建立を目標にした。社会教育団体「ほうせんか」をつくり、墨田区の国際交流などの活動にも参加して理解者が増えた。
地元の方が店の場所を譲ってくれ、日本人も韓国人朝鮮人も協力してチャリティコンサートなどを開いて2009年に旧四ツ木橋に近い堤防下に追悼碑を建てた(墨田区八広6-31-8)。今、「ほうせんか」は一般社団法人として、追悼碑の維持管理を行っている(http://moon.ap.teacup.com/housenka/)。
市民立の追悼碑は、差別と暴力のない、多民族がともに幸せに暮らせる日本社会でなければ守れない。ぜひ追悼事業にご協力ください。[代表・矢野恭子]