3.11から8年――東日本大震災を忘れない

3.11から8年――東日本大震災を忘れない

 

2011年3月11日。多くの人が家族を奪われ、家を失い、故郷を追われ、それまでの暮らしへの決別を余儀なくされた未曾有の大震災、続く原発災害――あの日から丸8年が経過した。日日一つ一つ困難を乗り越え、なんとか日常を取り戻しつつある人も多い反面、まだまだ過酷な状況のなか、悩み、苦しみ、必死にがんばっている人は数知れず、生活困窮、孤立、うつ・依存症に陥るケースも少なくない。

しかし一方で、被害にあった人たちを、心と身体に消し難い痛みを抱えてしまっている子ども・若者たちを支えようという人々が、国内外で立ち上がり、支えあい、つながりあう活動が継続されてきた8年間でもあった。そしてまた、世界中が東京電力福島原発事故を契機に、「危険な原発はもう終わらせよう/省エネ・持続可能なエネルギーシフトを始めよう」と声を上げ具体的に行動した8年間でもあった。

こうしたなか、国の復興・創生期間、復興庁の設置期限が余すところ2年余に迫ってもいるが、時の経過と並行して解決がはかられるとは到底思われない。とくに福島における復興課題は道半ばどころか、未だ問題・課題は山積している状況にある。3.11から8年、環境・人権・平和を揺るがない価値基盤に、9年目の歩み踏み出した人々、取り組みからレポートする。

 

■東日本大震災から8年を迎えた子どもたちの今――第18回東日本大震災子ども支援意見交換会を開催

3月7日、衆議院第二議員会館を会場に、標記をテーマに、第18回東日本大震災子ども支援意見交換会が開催された。主催は、東京・生活者ネットワークも参画する「東日本大震災子ども支援ネットワーク」(事務局長:森田明美東洋大学教授)だ。冒頭の主催者挨拶後の基調講演では、宮城学院女子大学発達科学研究所准教授で被災地の子ども・若者支援に当たってこられた、足立智昭さんが登壇。「大震災の長期的影響と今だから求められる支援者支援」に焦点を当てて報告・問題提起があった。続いて、宮城県南三陸町出身で「projectM」(プロジェクト・エム)として活動する4人の学生(被災当時:中学生)が、自ら支えられて今日を迎えた経験と未だ支援が行きわたらない子どもの実態などを「震災は20年続く 子ども・若者への継続支援の必要性」と題して発表。震災後にNPO子ども福祉研究所が開設した自習室“山田町ゾンタハウス”に集って活動してきた、岩手県山田町出身の学生4人が「私たちの8年間」を発表。続いて、国会議員からの発言や厚生労働省、文部科学省、内閣府、復興庁の各関係省庁からの報告に加え、市民活動団体からも報告があった。主催者からは、「東日本大震災から9年目、子どもたちや若者たちに寄り添う支援を継続しつつ、教訓を次の災害に生かす」とする決議(注)と政策提言が示され、「東日本大震災子ども白書」編纂の必要性が提起された。

 

■国際環NGO FoE Japan主催「どう伝える?原発事故のこと 3.11を忘れない 福島から境未来へ」

標記の集会が、3月9日、聖心女子大学ブリット記念ホールで開催され、東京・生活者ネットワークも協賛した。第一部は、原発事故から8年、「見えない化」される被害の今。主催団体の満田夏花さんからの報告に続き、「押しつぶされた『声』~ジェンダーの視点から」のテーマで宇都宮大学准教授の清水奈名子さんが話した。第二部は、当事者として被害を語る。「福島のお母さんたちの思い」、「福島で暮らすこと 若者たちの思い」、「原発事故で失われたもの~旧避難区域の住民は今」が、当事者たちから語られ、「これが『復興』の姿? 帰還者の想い」のインタビュー映像も流された。あわせて福島の子どもの保養を継続的に行っている「福島ぽかぽかプロジェクト」の活動が報告された。第三部は、原発事故を語り継ぐために。福島大学准教授の後藤忍さんが、福島県三春町に開設されているコミュタン福島(福島環境創造センター交流棟)とウクライナ国立チェルノブイリ博物館との比較を通じて、原発事故の事実・教訓を継承していくことの重要性を語った。続いて会場からの質問に登壇者が応えるパネルディスカッションがあり、閉会した。
FoE Japan声明:東京電力・福島第一原発事故から8年 進む被害と責任の「見えない化」~真の復興を

 

■3.11から8年目を翌日にひかえた、3月10日の日曜日、第66回東電本店合同抗議を開催

「経産省前テントひろば」と「たんぽぽ舎」の呼びかけ、東電株主代表訴訟、ピースボートなど133団体が賛同する毎月の抗議行動の特別版。集会は、東日本大震災・福島原発事故で亡くなった方々への黙とうから始まり、ルポライターの鎌田慧さん、福島原発被害東京訴訟原告団長の鴨下祐也さん、福島県双葉町から避難している亀屋幸子さん、元東海村村議で脱原発とうかい塾の相沢一正さんらが発言。東電社長あての申し入れ書を渡した。歌や太鼓の演奏、コールで、「東京電力は、原発事故の責任をとれ」「柏崎刈羽原発再稼働するな」「日本原電に債務保証するな」と訴えた。

続いて、場所を日本原電本社前(秋葉原駅近く)に移し、「首都圏に一番近い原発 老朽・被災原発=東海第二動かすな!」を訴える日本原電抗議が、「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」主催でおこなわれ、集会後は、御茶ノ水駅近辺までのデモで街の人たちにアピールした。

 

 

■3月21日春分の日、「3.21さようなら原発全国集会」が、代々木公園で開催

約1万人が参加した、今年の「3.21さようなら原発全国集会」。主催は、「さようなら原発」一千万署名市民の会。午前11時から、さまざまな市民活動団体がテントブースを並べ、「イットクライブ」のテントステージでは何組ものミュージシャンが歌と演奏でアピール。テントブースの中には、青森県下北半島の大間町に建設中の電源開発「大間原発」に反対する「あさこはうす」や、山口県上関(かみのせき)町に新規建設が計画されている中国電力「上関原発」に反対する「上関原発どうするの?~瀬戸内の自然を守るために~(通称:上関どうするネット)」のブースも並んだ。希望の牧場・ふくしまの吉沢正巳さんもアピールに立ち、「2020東京五輪反対」のプラカードを掲げる参加者もいた。

メインステージは、李政美(い・ぢょんみ)さんのコンサートで開始。主催者あいさつに立った鎌田慧さんは、経産省前テントひろば代表の渕上太郎さんの訃報にふれながら、原発推進の国策は破綻している、各自治体から「原発いらない」の声をあげていこう、選挙で「原発NO」の議員を選ぼう、とスピーチした。続く発言に登壇したのは、フクシマから=人見やよいさん(福島原発告訴団、フリーライター)、避難者から=熊本美彌子さん(避難の協同センター世話人)、作家で主催者の落合恵子さん、東海第二原発について=阿部功志さん(東海村村議会議員)、原発ゼロ法案=山崎誠さん(衆議院議員)、高校生平和大使、沖縄から=外間三枝子さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会の福山真劫さん、フクシマ連帯キャラバン報告もあり、最後に集会アピールが読み上げられた。集会後は、渋谷コースと原宿コースに分かれてのデモに出発。道行く人たちに、「原発止めよう」「原発なくても電気は足りてる」「子どもをまもろう」とよびかけた。

 

(注)東日本大震災子ども支援ネットワーク決議

東日本大震災から9年目、子どもたちや若者たちに寄り添う支援を継続しつつ、

教訓を次の災害とまちづくりに生かす

2019年3月11日

東日本大震災子ども支援ネットワーク

2019年3月11日、東日本大震災から8年が経過し、9年目に入ります。わたしたちは、子どもの権利条約・国連採択30年、日本批准25年のメモリアルな年にあたって、これからもこの条約に具体化されている子どもの権利を基盤にいっそう活動しています。

2018年は、日本列島がまたもやいくつもの災害に見舞われた年でした。6月には大阪北部地震、7月には西日本豪雨、9月には北海道胆振東部地震。亡くなったり負傷した子どもたち、親や親戚、友人など身近な人を亡くしたり、悲しみや怖い体験をしたりした子どもたちもたくさんいました。

その一方で、東日本大震災の記憶は風化が進んでいます。東日本大震災は、子どもたちの生活に大きな影響を与えた未曾有の大災害でした。復興支援も広域にまた長期的に進められています。その復興支援の過程からは、今後起こりうる災害にどのように対応することが子どもたちの最善の利益につながるのか、子どもたちの思いや願いを含め子ども参加のまちづくりの持つ意義やそのすすめ方などについて、教訓をたくさん得ることができます。

これまで、私たちは、行政やNPO/NGOなどの民間団体と連携しながら、国会議員や県議会議員、関連省庁や各部、市民団体などとの意見交換会を通じた政策提言活動、大学などを会場とした一般の方々向けのシンポジウムの開催などを行ってきました。また、東日本大震災1年目から毎年、計8回のメッセージを発信してきました(http://shinsai-kodomoshien.net/?cat=53)。

これらのメッセージの中で提起された、災害子ども支援活動に求められる視点や「子どもの暮らし復興」に向けた提案の中には、今も必要とされるものが多くあります。私たちは、昨年のメッセージで、震災後20年間の継続的な支援の必要性を提起していますが、これまでの視点や提案を踏まえつつ、東日本大震災から9年目の今、特に以下の点を強調したいと思います。

1.「東日本大震災子ども・若者白書」の作成
東日本大震災の記憶を忘れかけている時期を迎え、東日本大震災の教訓を生かすための「東日本大震災子ども・若者白書」を作成する必要があります。関連するデータの収集を含め、様々な災害が子どもたちにどのような影響を与えるのか、どのような予防や対応が求められるのかなどについて検証した白書が今こそ求められています。特に、災害後の短期的な影響だけでなく、中長期的に子どもたちがどのような影響を受けてきたのか、どのような災害支援が有益であり、今後も必要とされるのかも含めて調査を行う必要があります。また、実際に大災害を体験した子どもたちの声や体験を生かす、防災や復興のためのマニュアルなどの作成も早急に作成する必要があります。

2.おとなになった子どもたちへの支援-拠点づくりと人材育成の継続
東日本大震災の発災当時小学校6年生だった子どもたちが20歳を迎えました。発災時に18歳未満だった子どもたちの多くが、すでにおとなになっています。被災した地域の復興を担う立場になっていたり、自らが子どもを育てる立場になっていたりする若者たちもたくさんいます。震災からの時間の経過とともに、自らの体験を語り始めることができてきた若者たちが、同じ志を持つ仲間たちとのネットワークもつくり始めています。地域のおとなとして活動を始めた若者たちの希望を支え、支援していかなければならない時期になっています。様々な活動を行っている若者たちを支援していく拠点づくりの活動、助成金の確保、専門的な支援活動が求められています。また被災地の子どもたちを支える人材としての若者育成にも力を入れていく必要があります。

3.総合的で長期的な支援と支援者支援の必要性
加えて、支援が必要であるにもかかわらず、専門的な支援につながることができなかった子ども・若者がいます。とりわけ震災発生時に高校生以上だった子どもたちは、国や自治体による学校における心のケアなどの支援をうけることなく大学などを卒業し、就職や出産・子育てなど新しい人生の岐路にたちはじめています。支援の対象になってこなかった若者世代が子育てに困難を抱え、被災地の保育所などでは子どもへの影響が表出しています。このような状況に対して、個々の成長や発達の課題に応じ、医療・心理・福祉・教育などの総合的かつ長期的に支援することが求められています。また、大震災の二次的・三次的影響としての家族が持つ機能の低下と、それに起因する子どもの多様な課題の発生に対して、それらに対処しようとしながら十分に対処できず、疲労・疲弊している現場や職員が多く存在します。このような状況を改善するためにも、国および自治体レベルで支援者支援プログラムの構築とそのための条件整備が早急に必要になっています。

4.福島の子どもたちへの継続的な支援
福島の子どもたちや若者たちには、今なお多くの支援が必要とされています。国連・子どもの権利委員会による第4回・第5回日本政府報告書への総括所見においても、福島の子どもたちへの継続的な健康・医療支援、金銭的支援、正確な情報提供などの措置をとるよう、日本政府に対して勧告されています。9年目に入った今、避難指示解除による帰町・帰村による人間関係の変化、仮設住宅から災害復興住宅や新しい家に移る人たちなど、震災前のコミュニティの崩壊に加えて、仮設で築いたコミュニティも再崩壊している現実があります。新たな人間関係の構築や孤立感、子どもたちは成長に応じて故郷や親元を離れたり、生活空間にも変化が生じたりするなか、子どもたちや若者の心に寄り添う支援が継続して求められています。

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