[9条・解釈改憲]にどう対峙するのか 8.16公開討論会 200人超の参加を得た白熱の3時間から
[9条・解釈改憲]にどう対峙するのか 8.16公開討論会 報告
8月16日、東京・生活者ネットワークが主催した標記の公開討論会は、夏休み中にもかかわらず、当初予定を大きく上回る200人超が参加。会場は、安倍政権が強引に進める憲法9条・解釈改憲の動きに強い危機感を持つ人々で埋め尽くされた。
今回の開催趣旨は、憲法が壊され、立憲主義、国民主権が侵されていくその最中にあって、私たちは主権者として何をなすべきか、何ができるのかを問うもので、論者は、日本の民主主義の危機的状況に警告を発し続けてきた宮台真司さん(社会学者/首都大学東京教授)、想田和弘さん(映画作家/『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』著者)、今井一さん(ジャーナリスト/「国民投票/住民投票」情報室事務局長)の3氏。共に、先に30万東京都民が行った「『原発』都民投票」直接請求運動の呼びかけ人・賛同人であり、大事なことは市民が決めるレファレンダム(住民投票・国民投票)の必然性において一致した認識を持つものの、究極の国民主権行使(「憲法」国民投票)に向けた現状分析、そのための手立てや方法論において違いを有している。気鋭の3氏が率直かつ激烈な議論を交わす中で、フロアの参加者自身もまたそれぞれに思考を深める場としたいというもの。
開会にあたって、東京・生活者ネットワーク代表委員で元都議会議員の大西由紀子は、まずこの日の満席の参加を謝し、「直面する憲政の危機と安倍政権の暴走を許している民主主義の危機と不在、それら問題の根本を共有し、主権者として行動する新たな歩を踏み出すために、今日の公開討論会を開催した」と挨拶。進行役を担ったのは、同ネット運営委員で江戸川区議会議員の新村井玖子。SESSION1では、最初に各氏の基調発言を求め、続いて3氏による公開討論へ。休憩を挟んで後のSESSION2では、フロアからの質問をもとに質疑応答、さらに3氏による議論を進めるなど公開討論会は、まさに「熟議と討議制民主主義」の体現の場、学びの場となった。
SESSION1 基調発言から――
◆今井一さん(ジャーナリスト/『「憲法九条」国民投票』著者)
11年前に著した拙著の中で、日本国憲法施行以来の憲法9条と実態との乖離を取り上げ、このまま進めば集団的自衛権の行使容認に至ると警告し、解釈改憲が一番いけないと発信し続けてきた。護憲派・条文護持派が明文改憲を恐れ、国民投票を避け続ける中で、解釈改憲は着実に進み、ついに解釈改憲の限界まで来てしまったということだ。私の立場は、9条はこのままでよく、憲法改正は必要ないと考えているが、解釈改憲で集団的自衛権の行使容認が閣議決定した今、「われわれはどういう国をつくりたいのか」、憲法制定権者である国民が一から議論して決めなければならないのではないか。すなわち「軍隊を持つのか、持たないのか」「自衛戦争をするのか、しないのか」を議論するべき。これまで解釈をめぐってたくさんの学説が出されてきたが、戦後70年を迎えるにあたり、9条の解釈からいったん離れて、自分たちのイニシアティブで「国民投票」の流れをつくるべきときではないのか。
◆想田和弘さん(映画作家/『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』著者)
2012年12月、「自民党新憲法草案」を目にした時、ファシズム志向が余りにも露骨で酷すぎるので、いったい自民党は政権復帰を諦めたのかと疑ったものだが、メディアはこの危機的状況を報じようとせず、国民もまた取り立てて注意を払わないまま第二次安倍政権が始動。人々の無関心を背景に、民主主義を望まない政権が特定秘密保護法を強行採決し、9条・解釈改憲へと突き進んでいる。無関心という燃料によって育ちゆく、いわば「熱狂なきファシズム」が今、日本を静かに覆っている。「政治はわかりにくいからもっとわかりやすくせよ」とか、「選挙になど行かない」と勝ち誇ったように言うのは、「政党や立候補者が不完全だから(賢い消費者は買わない)、政治になど関心を持たない」……そういう「消費者民主主義」とでも呼ぶべき病(やまい)が日本の民主主義を蝕みつつある証左ではないか。翻って民主主義の原点は、みんなで議論し、みんなで決めて責任を持つことであるはず。下流志向で受け身の主権者が、誰にも騒がれずにファシズムを進めていこうとする政治家の行動を食い止められる道理がない。こういう時代には、何とかしたいと「特効薬」を求める心理が働くものだが、そういう土壌に必ず登場するのが偽ウルトラマン(ポピュリズムの台頭)だから、僕は特効薬を求めず、「民主主義というまち」に落ちているごみをひとつずつ拾っていこう、それが隣の人と一緒にできたらなおよいと思っている。
◆宮台真司さん(社会学者 首都大学東京教授)
僕は一貫して「重武装・中立化」、そのために憲法を改正しようという立場で、この判断は20代のころから変わらない。「非武装・中立」などといいながら、実際には「軽武装・対米従属」を展開してきた日本のあり方に対するアンチテーゼだ。憲法の核心は立憲主義、つまりわれわれが憲法を通じて何を実現していくのかにあり、13条:国民の生命、財産を守ることこそが憲法の主条文なのだ。グローバル化により資本移動が自由化され、経済主体も社会の公正に関心を持たないから、社会が疲弊して貧困が進む。国民は打ちひしがれた状態にあり、仮想敵を見つけるポピュリズムが広がる。こうした現状こそが、日本の危機なのだ。20年前までは分厚い中間層が存在したが、肝心の中間層が分解・瓦解し、日本は民主主義が回らない大衆社会となった。そこにマスコミやインターネットによる世論形成が作為的に行われていく。日本に限らず、社会全体が危機的状況にあり、解釈改憲といった従来できなかったことができるような政治の劣化・社会システムの劣化が起こっているということだ。政府による広告代理店的情報戦略がイニシアティブを持つ中で、今、「国民投票」を打つことは危険。「憲法」を変えるかどうかという重大問題に失敗は許されないからだ。集団的自衛権行使容認の閣議決定で安倍政権が新たにできることはないが、ただ閣議決定の「枠の外」で法律がつくられないよう、厳にウォッチしていかなくてはならない。もちろん、「僕たちはどういう社会を生きたいか」はとても大事だが、その前提として「僕たちは、いったいどういう社会に生きているのか」…現今は、これを適切にモニタリングしていくことが重要だ。
SESSION2 フロアからの質問を受けて――
基調発言を受けての、それぞれの主張への異論・反論・同意・質疑など自由討議が繰り広げられたSESSION1を経て、SESSION2では、フロアからの質問を中心に質疑とさらなる討論が行われ、3氏から、さらに以下の論点が披露された。
◆今井一さん 選挙(選挙に表れる民主主義の劣化)と案件投票にはおのずと違いがあるのであって、これまで各地で実施されてきた住民投票の例を見ると、住民は真剣に考え、最終的には利害を排して賢明な選択をする。1997年、辺野古の海をどうするのか、基地を受け入れるのか否かを争点に行われた名護市の住民投票では、補償金の恩恵を排除して基地反対派が勝利した。住民投票ではそういう事例がいくつも積みあげられてきた。一方で憲法は、1946年の9条制定に際しても、制定後も、「平和と自衛をどう考えるか どの道を進むのか」、われわれは一度たりとも主権者として国民的議論を行い、結論を出したことはない。そういう議論をこそすべきだし、そういう観点から、改憲の是非を問う国民投票の前段階の、「予備的国民投票」を提案していきたいと考えている。
◆想田和弘さん 現実政治というのはいつでも公明正大というものでもない。日本で今、戦争は起きていないし、表現の自由もともかく確保されているのは、憲法9条があり、21条があるから。現状から後退するのでなく、12条を糧に僕たちは少しずつでも改善していく、そのことが大事だと思う。というのも、日比谷コンベンションホールで予定した(想田監督による)「選挙2」上映会に横やりが入ったことがある。参院選を控えた時期で、だからこその上映会・討論の場であったのだが、一旦は了解した千代田区行政が上映中止を通知してきた(政治的配慮ということか)。自分が企画した会でもないし、面倒だなとも思ったが、ここで黙って引き下がることは「表現の自由」を損なうことだと。マスコミに働きかけ、おかしいと表明した結果、区は中止を取り下げ、上映会は予定通り進められることになった。「僕は、そのとき面倒くさい人になったんです」……この経験から、わかったふりはやめて、みなが面倒くさい人になることを勧めたい。
◆宮台真司さん そもそも生活する場である地域・コミュニティで何が起こっているか、住民は知らない、知ろうとしないし、地方政治を報道するしくみがないことが問題だ。政治教育(市民性教育)もおぼつかないなか、日本の社会システムは民主主義だから民主的だと思い込んでいて、デタラメな状況に気づかない。そういう国民の側の無自覚にも大きな問題がある。政治の劣化にどう向き合うのか、徹底議論する「熟議」が不可分で、熟議のためには真っ当なファシリテーター機能がどうしても必要となる。専門家を得て、情報を得て、そういう熟議を幾重にも重ねて初めて実施される「住民投票」を各地で積み上げる。そういう積み上げをもって民主主義を深め、主権者が力を蓄えていく。その上で、来るべき「国民投票」を実施するのがよいと思う。
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会場の約200人の参加者が気鋭の論者の、それぞれの主張に集中し、質問し、そして自問した、あっという間の3時間。そこで繰り広げられた白熱の討論は、多くの示唆に富むものとなった。想田さんが例えたのは、民主主義のまちに散乱する100個のごみを前に、それを拾う一人になり、それを100人に波及させていく、諦めないで民主主義を体現していくことの大事さ。宮台さんが指摘したのは、教育の実践を含めて、まさに民主主義の本義「参加と自治」を実践することの重要性、つまるところ地域で暮らす私たち市民の、民主主義を底上げし再構築する覚悟を問うものであった。
今年6月14日、「改正国民投票法」が成立し、憲法改正に必要な手続きが整った。戦後69年、憲法9条の果たしてきた役割をどうとらえるのか、今後どうしていくのか、憲法、外交、安全保障にわたる幅広い課題に私たち主権者自らが向き合い、議論し、決していく……いずれ、私たち一人ひとりの態度が問われるときがやってくるだろう。今回の今井さんの提案は、イニシアティブ(国民発案)とレファレンダム(国民投票)を市民が主導する「予備的国民投票」の薦めであり、提案に耳を傾け、新たな学びを深めることも必要となる。
民主主義の危機・不在、政治の劣化といった状況を見過ごすのでなく、各地で実施され、輝ける実績を積み上げてきた住民投票や直接請求運動、地方行政や議会への市民の手による条例提案などなど、私たち一人ひとりの不断の積み重ねこそが、[9条・解釈改憲]に対峙する力であり、その手立てもまた、私たち主権者市民の手の中にあるだと思う。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」……言わずと知れた12条の、そこにローカルパーティ 生活者ネットワークの役割もまた改めて見えてくる。おかしいことはおかしいという、声をあげ、そして隣人に声をかけていく、そういう不断の行動の重要さを再確認した価値ある公開討論会となった。
最後に、東京・生活者ネットワーク代表委員で都議会議員の西崎光子は、自ら共同代表を務める「自治体議員立憲ネットワーク」の活動を紹介。今回を機に、これからも専門家や識者とおおぜいの市民とが共に議論できる場をもち、地域から民主主義を底上げしていきましょうとアピールし、8.16公開討論会を閉幕した。
◆なお、フロアと論者との質疑の模様は、追ってご報告としますことをご了解ください。
◆当日の模様を収録したDVD <[9条・解釈改憲]にどう対峙するのか 8.16公開討論会 宮台真司 想田和弘 今井一 於:弘済会館 主催:東京・生活者ネットワーク 制作:デモクラTV>(頒布価格500円)を制作中です。希望される方は、東京・生活者ネットワーク tokyo@seikatsusha.net まで、お申込み・お問い合わせください。
◆デモクラTV、IWJ、想田和弘観察道場の各サイトでも視聴・公開が予定されています。